「院生のための算数入門」の連載をおえて
[mixi 2007-07-16 再掲時に修正・削除]
とりあえず完結です.
「算数」の部分はあんまりなかったかもしれませんが,「算数」の素直な発展として,普通の科学や工学,また数学自身にとっての「お米の御飯」(パスタが主食の人はパスタでもいいですが・・)のような数学が,微積分・線形代数を経て,線形微分方程式・フーリエ解析・陰関数定理というあたりまで,大きな流れとして続いている,ということを強調したつもりです.
また,統計科学や計算機科学の視点からみると,算数(割り算と雑音,複比例と人月の神話),線形代数(行列のランクと非適切問題)など,あちこちで,普通とはちょっと違った風景がみえる,ということをいうのも,裏の目的としてありました.
今日,こうした体系的なアプローチは,あまりはやらないようです.これは「自立した個としての市民をつくる教育」というような視点が,時代に合わなくなった,ということも関係あるかもしれません.ここに書いたようなことの欠落の穴埋めとして,パズルとしての側面を強調した非体系的な教え方,逆に鍛錬型のものが繁栄しているように見えます.
より専門的に,工学系・情報系,あるいは企業での研究でも,数学は相手をびびらす道具のように思われているような気がすることがあります.「おこめの御飯」の欠落の上での,代数幾何,ルベグ積分,関数解析・・というのは何なんでしょうか.いや,もちろん,なんらかの分野のプロの人は,自分の世界で使う道具としては「おこめの御飯」の数学をマスターしていると思うのですが,それはしばしば狭すぎるようにみえることがあります.
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それにしても,12年間の教育のプロセスで
・保存則によって統一的にものを考えること
・正比例の考え方と1あたり量による単位の構成
・局所的な線形化という考え方
などを習うかわりに
・数十通りの「○○算」にそれぞれの公式をあてはめて解く
・百ます計算
・曲線とその接線の間の面積を計算する
などを習ってしまった場合,その後のダメージは計り知れないのではないでしょうか.
もちろん,数学のほかに,国語や音楽や人づきあいや園芸や,世の中には沢山のことがありますから,「ダメージ」は人生のごく一部にすぎないのですが,それでも,ものを考える上で大事な通り道のひとつをふさいでしまうことになるかもしれません.
前にも書いたのですが,英語を12年間ならって喋れないのがおかしいなら,数学を12年間ならって,数学で話せないのもやっぱり問題だと思うのです.
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[補記] (再掲載時)
はてなへの転載を終えたときに,森毅氏の訃報に接しました.
考えてみると,私が森先生の本を熱心に読んでいたころの森先生といまほぼ同年齢なのですね.
森先生のことはまた書きたいと思います(先生といっても,講義を受けたわけではなく,実物は一瞬見ただけなのですけど).
なお,この「院生のための算数」には,例えば森毅氏や板倉聖宣氏の影響も大きいですが,数教協をはじめとする民間教育運動の先生方から小中学校の生徒として直接学んだこともたくさん含まれています.そのことも断っておきたいと思います.