どっちが贋物

[mixi 2006-09-21 掲載時に細部を修正]

「贋作」「偽作」というのは,作者と作品の対応が正しくないことを指すわけだが,そのとき,どちらが「贋」になるかは分野によって違う.

絵画や陶芸,書道などでは,作品のほうが「贋物」である.贋のピカソだの,贋の永楽茶碗だのは,もちろん絵や器が贋物なので,ピカソが贋ということはない.これに対して,音楽,劇作,料理,そして数学や科学では,原則として「贋」なのは作者のほうである.この違いは案外気づかれていないようである.

説明はいろいろ考えられる.まず,美術や陶芸の世界は腐敗していて,実物でなく名前や先入観でものをみているというもの.一番つまらない解釈だが,たとえば,ピカソの唯一の作品がピカソのでなければ,おそらくピカソという人物のほうが贋だということになるだろうから,その意味では正しいのかもしれない.

次に「物理的実体」の有無で違いが生じるという説.もっともらしいが「料理」はどうだろうか.かなり微妙.「調理人と料理」なら作者のほうが贋だが,「材料の産地と料理」なら料理の実体のほうが贋かも.

私の友人が考えたのは,これがいままでで一番凝った理論だが,レシピとか楽譜とかのある「再生芸術」かどうかで決まるという説.この場合「演劇」あたりが微妙である.

こういうことは,あれこれ理由を考えるよりも単に「そういえば気づかなかったなあ」と思うのが一番いいのかもしれないが.